パームビーチ郡 (Palm Beach County)
パームビーチ郡は南フロリダ大都市圏を構成する3郡の1つである. 1909年に設立された. 南フロリダでは2番目に古い郡である. 郡南部にあるボカラトン市が郡内第2の都市であり、人口は8万人を超えている. やはり南部にあるボイントンビーチ市が第3の都市で、人口は7万人に迫っている.
パームビーチ、ジュピター、マナラパン、ボカラトンなど海岸に裕福な町が並び、さらに乗馬のメッカであるウェリントン、ゴルフ天国であるパームビーチガーデンズなどがあって、2004年の一人当たり収入は44,518米ドルと州内最も裕福な郡になっている.
パームビーチ郡初期の住人にはアフリカ系アメリカ人が混じっており、その多くはアラバマ州、ジョージア州、サウスカロライナ州の奴隷プランテーションからフロリダに逃げてきた元奴隷であるか、奴隷の子孫だった. 逃亡奴隷は17世紀後半当時スペイン領フロリダだった地域に入り始め、セミノール族インディアンの中に逃げ場を見出した.
パームビーチに家を建てたヘンリー・フラグラーが、ジャクソンビルからキーウェストまで郡内を通るフロリダ東海岸鉄道を延伸することで、20世紀初期の発展の推進者となった.
パームビーチ郡は1909年に設立された. 郡名は最初に設立された町であるパームビーチから採られており、そこは椰子の木と海浜から名付けられていた. 領域は当時マイアミ・デイド郡であり、現在のオキーチョビー郡、ブロワード郡およびマーティン郡の一部までが含まれ、オキーチョビー湖の全面も入っていた. 1915年にブロワード郡を設立するために最南部が削られ、1917年にオキーチョビー郡を作るために北西部が削られ、さらに1925年には最北部からマーティン郡の一部が作られた. 1963年、オキーチョビー湖の4分の3が外され、グレーズ郡、ヘンドリー郡、マーティン郡、オキーチョビー郡に分割された.
アフリカ系アメリカ人は郡のホテルや家屋の建設、フラグラーの鉄道敷設に重要な労働力となった.
パームビーチ郡の教育学区は1971年に統合されており、国内で最も新しいものとなっている.
地図 - パームビーチ郡 (Palm Beach County)
地図
国 - アメリカ合衆国
アメリカ合衆国の国旗 |
アメリカ合衆国(United States of America)の頭文字を取って「U.S.A.」もしくは「USA」、合衆国(United States)の頭文字を取って「U.S.」もしくは「US」、または単にアメリカ(America)とも称される.
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
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USD | アメリカ合衆国ドル (United States dollar) | $ | 2 |